点字通信(since 2016)

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点字通信 第14号

(テキスト版)点字通信第14号
(PDF版)点字通信第14号

墨点字で「点字通信14」
点字通信第14号

令和6年9月17日(火)発行

 

 点字通信第14号は、本校南校舎2階にある資料室の紹介です。

<資料室について>

 本校南校舎2階には、これまでの本校の学習教材を保管した資料室があります。古いものでは、大正時代に使われていた教科書もあり、全国の盲学校の資料室の中でも、5本の指に入るほど、貴重な資料が収納された部屋だそうです。

 まず、南側の窓際には、様々な点字製版機が置かれています。

 木製足踏み式軽便点字製版機(昭和38年)木製足踏み式軽便点字製版機(昭和38年)

鉄製足踏み式点字製版機(昭和47年)鉄製足踏み式点字製版機(昭和47年)

電動式点字製版ローラー(昭和60年代)電動式点字製版ローラー(昭和60年代)

 現在ではパソコンで点訳し、多数の点字印刷物を作ることができるようになりました。しかし、それ以前の時代では、膨大な労力と時間を費やしながら作成していました。

 1枚の亜鉛板や塩ビ板を二つ折りにして、点字製版機で点字を刻印していきます。指だけでなく、足で踏みながら刻印していくのには、熟練した技能が必要でした。また、間違えを修正することも大変で、例えば、「あみ」と書こうと思っていたのに、「あめ」と書いてしまった場合、金属の棒を4の点の位置に当て、木づちで叩いて消していました。

あみ → あめ の墨点字

「ぐんま」と書きたいところを、「ぐま」と書いてしまった場合は修正することができないため、もう一度初めからやり直さなければなりませんでした。

「ぐんま → ぐま」の墨点字

 できあがった亜鉛板や塩ビ板には、点字用紙を挟み、ローラーに通します。紙を挟んでローラーに通す人、ローラーを通過してきた亜鉛板や塩ビ板を受け取り、中から点字用紙を出す人の二人組体制で印刷物を作成していきます。

 こうした場面でも事故がよく起こりました。ローラーに通す際に、自分の手を入れてしまう人、亜鉛板や塩ビ板の角で皮膚を切ってしまう人などもいました。筆者が中学生だった頃の盲学校では、文化祭や生徒会行事がある度に、夕方まで生徒も学校に残り、点字印刷作業をしていました。

 現在も、点字教科書の製版所では、点図を作成する際には、1枚1枚亜鉛板で図版を作成しているようです。

  資料室東側には、アポロブレイラーなどの、パーキンスが登場する以前の点字機が置かれています。資料室北側(廊下側)には、視覚障害者用のそろばんや、オプタコンなどが置かれています。

アポロブレイラーアポロブレイラー

そろばん視覚障害者用そろばん

オプタコンオプタコン

 オプタコン(Optical to Tactile Converter)とは、全盲の生徒が墨字の形を覚えるための機械で、筆者が小学生、中学生だった昭和50年代の盲学校では、盛んに使われていました。

  小さなスキャナーのようなものを墨字の印刷物の上に置きます。すると、そのスキャナーに接続された機械のピンが振動し、墨字の形が浮き出てくる仕組みになっています。この機会を用いて新聞や本を指で読む練習が全国の盲学校で取り組まれていましたが、画数が多い文字を判別することは困難だったため、実用的なところまでいった人は、それほどいなかったようです。

 この他にも、資料室には点字に関わる様々な教材や資料が保管・展示されています。