見えない子供たちも同じです。触れたり音を聞いたりしながら、さらにはその様子を周囲の人の感じ力と重ね合わせて受け止める経験を積み重ね、「観る」ことができるようになっていきます。
「見える」ということは「わかる」ということです。木々を遠くから見ているだけでぼんやりした黒っぽい塊でも、目を近づけたり補助具を使ったりすれば、木の葉が光ったり、影を落としたり、風に揺れたりする様を見ることができます、いろいろな場所でいろいろな人とその経験を共有し、積み重ねていくことで、木々の表情を受けとめられるようになっていきます。こうして『風にざわめく木々』がわかるようになるのです。
大人になった私たちが、「当たり前」のようにしていることは、こういった経験の積み重ねによってできるようになってきたことなのです。見えない・見えにくい子供たちやものを見ることが苦手な子ども達がこうした経験を積み重ねるには、少しの工夫と周りの人たちの支援が必要です。
群馬県立盲学校「目の相談」では、そのための支援活動を行っています。
子供たちが、将来にわたって充実した生活を送るために大切なこと・・・ 私たちはこう考えます。
見えない・見えにくい子供たちは、身の回りにあるものや出来事の存在に気づきにくく、自分から経験を積むことが困難です。家族や先生など、いつも身近にいる「人」がこれらの経験を積むための大切な支援者になります。
具体的な事物はもちろんのこと、場面や状況、関係についても確かなイメージをたくさん蓄積して、「人の中で」育っていってほしいのです、表現する喜びも出会う楽しさしも、「人の中」にあります、その中にいる幸せを受け止め、「生き力」の原動力にできる子になってほしいと願っています。そのための対応には「早すぎる」ということはありません。
私たちは、できる限り早い時期から子供たちの育ちの時間に寄り添っていきたいと考えています。 |
見えにくさのサインには以下のようなものがあります。
・顔を動かすと視線が逸れてしまう。
・目が揺れている。
・片眼をつぶったりすることが多い。
・目を寄せてみることが多い。
・目が近い。
・3歳を過ぎても視力検査がうまくできない。
・階段や段差をこわがることがある。
・先生やお母さんの顔をいつまでも見ていてなかなか活動できない。
・いつもなんとなくふらふらしている。
・首の動きが大きい。
・ものの形を書くことが難しい。
・揺れる遊具をこわがる。
・目が揺れている。
・片眼をつぶったりすることが多い。
・目を寄せてみることが多い。
・目が近い。
・3歳を過ぎても視力検査がうまくできない。
・階段や段差をこわがることがある。
・先生やお母さんの顔をいつまでも見ていてなかなか活動できない。
・いつもなんとなくふらふらしている。
・首の動きが大きい。
・ものの形を書くことが難しい。
・揺れる遊具をこわがる。
*こんな様子が見られたら、視力が低かったり、ものをみることが上手にできない場合が
考えられます。